国際援助は誰のため?「支援」するのって本当は難しい。【ポバティーインク、あなたの寄付の不都合な真実】

発展途上国というと、貧困、政治の崩壊、児童労働、衛生的に良くない、感染病、資源が豊富など色々なイメージがあります。

しかし、そのほとんどは「負のイメージ」が多いです。

発展途上国は、教育やインフラ、医療、公衆衛生、防衛のための援助を世界各国から受けています。

パプアニューギニアに限らず、多くの発展途上国に共通しているのは、世界中の国や機関から大なり小なりの「支援」を貰っていることでしょう。

世界の国々や国連、NGOなどが、インフラの整備、技術開発、職業支援、物資の援助、医療援助などを支援しており、発展途上国にもっと発展してもらおう、貧困から抜け出してもらおう、良い医療を受けてもらおうと頑張っています。

しかし、本当に発展途上国が必要とする「支援」とは何なんだろうか…

というのを考えさせられる映画 「Poverty ink(ポバティーインク、あなたの寄付の不都合な真実)」

貧しい気の毒な人たちのために手を差し伸べよう」「彼らは無力で何もできない」そんなイメージを謳い、繰り広げられてきた営利目的の途上国開発は、今や数十億ドルに及ぶ巨大産業となっている。その多くの援助活動が失敗に終わり、援助の受け手がもともと持っている能力やパワーも損ないさえする。私たちの「支援」がもたらす問題は?正しい支援のあり方とは?途上国とどう向き合うべきなのか?ハイチやアフリカを主な舞台に、“支援される側”の人たちの生の声を伝えるドキュメンタリー。

映画『ポバティー・インク』 ホームページ
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日本では2016年に公開された映画で、ハイチ米の悲劇、ケニア起業家の苦悩、競合は国際援助など、この国際援助のあり方を問うドキュメンタリー。

パプアニューギニアで生活していて、考えさせられることが描かれていてとても興味深い映画でした。

発展途上国では、この「支援」による弊害が生まれることが多々あります。

例えば

・支援されることに慣れてしまって自立できない状態が続く

・支援されているのにその資金や物資が市民に届かず力のある人たちが奪ってしまう

などです。

「支援する側」と「支援される側」の関係性や、支援を有効的に使ってもらうことが本当に難しいということを、私もパプアニューギニアで色々な話を聞いて学びました。  

大きな組織でなくても、個人間でもこのようなことは起こります。

ポートモレスビーでの信号待ちで車を停車させていると、子供が車に近寄ってきて「お金を頂戴、物を頂戴」と毎回言いにきます。

孤児なのか?両親がいるのか?もしかしたら親がお金や物を集めて来るように子供に教育しているのかもしれません。その子の状況などはわかりません。

裸足で破れた洋服を着ているまだ小さい子がいる横で、私はいい車に乗り、綺麗な洋服を着て、素敵なサングラスをかけている。

とても申し訳ない気持ちになる瞬間です。

しかし、この時にこの子に「可哀想な子」というレッテルを勝手に貼り、お金をあげたり、物をあげるべきか。。

もしあげなかったら次にどのようなことが起こるかというと、石や泥を投げる子供もいます。(ちょっとギャング化してる。涙)

その子は、もらえることが当たり前だと思っているのです。

個人的には、お金ちょうだいと言われても、何もせずにお金をあげることはしません。

しかし、果物を売っていたりする時には対価としてちゃんと購入します。

発展途上国では、失業手当や子ども手当などないので、自分でどうにかしないといけないというのも現実で、大人にもタフなのに子供にはもっとタフです。

私たちでも、国に頼れなくなったら、お先真っ暗という感じですよね。

発展途上国だけでなく、どの国でも、「支援する人」「支援される人」の関係性はとても難しい。

そして、ただ何かをあげるだけでなく、慎重にしなくてはいけないものです。

支援される人を「弱者」として手助けをするのではなく、

明日はわが身かもしれない、

もし自分自身が支援される立場だったら、本当に何が必要か?ということを考えて行動を起こす必要があるように思うようになりました。

その人たちが一人で自立できるように、やり過ぎず、やらなさ過ぎず、相手が本当に必要なことは何なのかを一緒に考え、付かず離れずそれを見守ること、これが本当の「支援」なのかもしれません。

日本では、この「支援」するという営利目的の過度なビジネスはあまりみられませんが、アメリカや中国など多くの国で実施されている1つのビジネスの手法です。

とても奥が深いです。

「国際援助って、素晴らしいな!かっこいいな〜!」と多くの人が思っています。

医療にしても、インフラの整備にしても、教育にしても、色々な場面で「国際援助」は発展途上国でとても役に立っているのは事実です。

あまり知られていませんが、日本も素晴らしい国際援助をパプアニューギニアでもたくさんしています。

例えば、下水道処理システムを作ったり、音楽を教えたり、教科書を作ったり、色々な分野のボランティアを派遣したり。

「援助」によってその国の状況がすぐに変わらなくても、「行動する」ことで少しずつ良くなると個人的には信じています。

不都合な真実の明確な答えはないのですが(じゃあ、ブログに書くなよですね。笑)援助する方の自己満足でもいいのではないかと思うこともあります。

「援助されて、寄付されて、超絶感謝〜!」というのを期待するのは、とてもリスキー、ある意味おこがましいですよね。

喜んでくれたかわからんけども「やってあげて気がすんだ、よかった!」というやった方の満足感が、与えられた方よりも大きな幸福感につながるのではないではないでしょうか。

あなたが寄付をする時、この寄付はどのように使われるのか?

この寄付はどんなシステムになっているのか、考えてみてもいいかもしれません。

「理解する姿勢」というのが、寄付することと同じくらい大事だと思います。

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