現代の世界で一番敏感な問題はいろんな種類の「差別」。PC(ポリティカル・コレクトネス)とは?

世の中には、人種差別、性差別、国籍差別、年齢差別、男女差別、宗教差別、逮捕歴差別、結婚差別、同性愛差別、妊娠差別、障害差別、格差差別など、まだまだ信じられないほどたくさんの種類の差別がある。

当事者が「それ差別です!」「私、差別されました!」と思ったらそれは差別の対象となる。SNSで炎上するかもしれないし、訴えられるかもしれない。会社や学校で問題の議題として上がることも。

もちろん個人個人考えがあり、それを自己責任の範囲内で表明するのは個人の自由かもしれない。(しかし、結局意思表明したところで差別した人が非難されて終わるのだが…)こんなにたくさんの差別があれば、差別の問題はなくならないだろう。

しかし、最近世界中では自分が「差別発言」するのを恐れて言いたいことも言えない、発言が難しい、事実をそのまま伝えられないなどの弊害が問題になっている。

これが、PC(Political Correctness)=ポリティカル・コレクトネスというもの。

ポリティカル・コレクトネス: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、性別人種民族宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正中立な言葉や表現を使用することを指す[1][2][3][4]政治的妥当性ともいう[1]

wikipedia

考えてみると、英語には日本語よりも性別やタイトル(Ms,Mr)、人種、など差別的な言葉がたくさんあるように思う。

例えば、「Hey guys(ヘイ君たち)」これもguysだと男性を表していることになり性差別に当たるのではないかという意見もある。ここはFolks,peopleにすべきなのではないかと。

また、人を未婚の女性と既婚の女性でタイトルを分けるのも差別に当たるという人もいる。

他に、フランス語やドイツ語などは男性名詞、女性名詞などがあり、性のバランスを取ろうとしても言い換えることができない言葉もたくさんある。

私の夫は「外国人」という言葉も差別的だという。そう、悪気はないのだ。

このように、人種についても、その人の経歴についても、身体的なことについても、言葉のアクセントについても、全てが差別の対象になるため「何も言えない」「その人の個性や人種などを避ける」ということがこのPCに対する弊害となっている。

悪気があって何か言ったわけではない、それが差別の対象になるとは知らなかった、傷つけるつもりはなかったということもよくある話。

教育として教えられることもあるが、言葉は受け取るその人次第なためその時々に相手が気を悪くしたら謝罪し、変更していくしか他に道はないのかもしれない。現代では「差別」として指摘されることもある言葉は、数十年前までは一般的に使われていたことも。ただ、時代にそぐわない言葉なのかもしれない。

ここでいう差別とは「差別したくないのに差別したということになってしまう」ということだ。多くの人は、「差別したいと思っているわけではない」と思っていると信じている。差別について議論することも難しくなっているのが現代なのである。


世界は今もなお政治的にも経済的にもたくさんの問題を抱えており、そのはけ口として「差別」が利用されていると感じることがある。

次のターゲットを見つけるかのようにたくさんの差別により誰かが生き残るような社会システムが横行しているのはもう多くの人々が気づいているだろう。

差別として問題になる事象の背景には、もっと解決すべき深い問題があることを忘れてはいけない。


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