アメトーーク!の西成発言でも問題になった敏感な問題「差別」。PC(ポリティカル・コレクトネス)とは?

世の中には、人種差別、性差別、国籍差別、年齢差別、男女差別、宗教差別、逮捕歴差別、結婚差別、同性愛差別、妊娠差別、障害差別、格差差別など、まだまだ信じられないほどたくさんの種類の差別がある。

当事者や周囲の人たちが「それ差別です!」「私(あの人)、差別されました!」と思ったら、それは差別の対象となる。

SNSで炎上するかもしれないし、訴えられるかもしれない。

会社や学校で問題の議題として上がることも。

日本でも最近「アメトーーク!」が西成地区に対する差別を行ったといういうことで問題になった。

テレビ朝日の角南源五社長(62)が23日、東京・六本木の同局で定例会見を行い、同局に人気バラエティー「アメトーーク!」で大阪府立西成高校と西成地区について差別的な表現があったとして公式サイトで謝罪した問題で改めて陳謝した。

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日本も、言葉の1つ1つに注意する必要がある「敏感な時代」になっている。

個人個人考えがあり、それを自己責任の範囲内で表明するのは個人の自由かもしれない。

(しかし、結局意思表明したところで差別した人が非難されて終わるのだが…)

こんなにたくさんの差別があれば、差別の問題はなくならないだろう。

そんな中で、世界中では自分が「差別発言」するのを恐れて何も言えない、発言が難しい、事実をそのまま伝えられないなどの弊害が問題になっている。

このような時代で、最も議論されるのは

「その発言は、PC(Political Correctness)=ポリティカル・コレクトネスだったかどうか?」

ということ。

ポリティカル・コレクトネス: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、性別人種民族宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正中立な言葉や表現を使用することを指す[1][2][3][4]政治的妥当性ともいう[1]

wikipedia
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英語のPC (ポリティカル・コレクトネス)

考えてみると、英語には日本語よりも性別やタイトル(Ms,Mr)、人種、など差別的な言葉がたくさんあるように思う。

例えば、「Hey guys(ヘイ君たち)」これもguysだと男性を表していることになり性差別に当たるのではないかという意見もある。

ここはFolks,peopleにすべきなのではないかと。

また、人を未婚の女性と既婚の女性でタイトルを分けるのも差別に当たるという人もいる。

他に、フランス語やドイツ語などは男性名詞、女性名詞などがあり、性のバランスを取ろうとしても言い換えることができない言葉もたくさんある。

私の夫は「外国人」という言葉も差別的だという。

トランプ大統領の発言は「PC」ではないという人が多い。

多くの場合、言った本人は悪気はないのだ。捉える側の感じ方次第なのである。

このように、人種についても、その人の経歴についても、身体的なことについても、言葉のアクセントについても、全てが差別の対象になるため「何も言えない」「その人の個性や人種などを避ける」ということがこのPCに対する弊害となっている。

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日本語のPC (ポリティカル・コレクトネス)

悪気があって何か言ったわけではない、それが差別の対象になるとは知らなかった、傷つけるつもりはなかったということもよくある話。

日本でも、性差別が問題になっている。

女のくせに」「男のくせに」など性別によって行動やライフスタイルをステレオタイプ化したような発言は差別にあたる。

関連記事:【上野千鶴子さんの東大入学祝辞から考える】日本における性差別の背景にあるもの#MeToo

国際化してきた中で、知らず知らずのうちに使われてきた「人種差別用語」も問題になっている。

うちの夫のように、日本で「外国人」として扱われるのも「差別だ」という外国人も多く日本に住んでいるのも事実である。

時代とともに変化する言葉や概念に対して、教育として教えられることもある。

言葉は受け取るその人次第なため、その時々に相手が気を悪くしたら謝罪し、変更していくしか他に道はないのかもしれない。

現代では「差別」として指摘されることもある言葉は、数十年前までは一般的に使われていたこともあるのだ。

ただ、時代にそぐわないのである。

多くの人は、「差別したいと思っているわけではない」と信じている。

アメトーークの西成の発言についても、悪気があってしたわけではなさそうだ。

世界中でも、笑いの根底で盛り上がるのは、人々の「違い」なのである。

海外のコメディーでも、男と女の比較、人種のステレオタイプ化したもの、言語の特徴、などの笑いは非常に人気が高い。

全てのコメディーの基盤はこれに尽きるのではないかと思うほどである。

おわりに

世界は今もなお政治的にも経済的にもたくさんの問題を抱えており、そのはけ口として「差別」が利用されていると感じることがある。

次のターゲットを見つけるかのように、たくさんの差別により、誰かが生き残るような社会システムが横行しているのは、もう多くの人々が気づいているだろう。

差別として問題になる事象の背景には、もっと解決すべき深い問題があることを忘れてはいけない。

差別について議論することも難しくなっているのが現代なのである。

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