【上野千鶴子さんの東大入学祝辞から考える】日本における性差別の背景にあるもの#MeToo

社会学者の上野千鶴子さんが行った「東大入学祝辞」から、性差別についまた考えさせられました。

日本に住む外国人が驚く、日本の性差別的社会と習慣

日本の会社や組織での男性上司からセクハラを受けたという話はよく聞きます。

上司は部下に下心があり、アプローチをしている場合が多いです。

下心があろうとなかろうと、他の国では確実にアウトな習慣がたくさんあります。

・年齢を聞くこと

・履歴書に年齢を書かせること(年齢差別)

・ボディタッチ

・彼氏がいるかなどプライベートな質問

・飲み会でお酒を女性に注がせたり無理に飲ませること、など

どれも日本では当たり前に行われていることですね。

海外のハラスメントラインは日本よりも厳しいようです。

日本は「個人」よりも「社会の輪」を重んじるため、「個人の人権」に対する意識は低い?または、女性が嫌でも「NO」と言えない現状があるようです。

海外から日本に駐在に来ている友人の男性から、こんな話も聞きました。

「世界の色々な先進国で働いてきたけど、日本の会社の女性管理職の少なさにビックリしているよ。だから日本の組織はバランスが取れていないんじゃないかな。」

日本の女性管理職の少なさは、海外から見ても異様なほど少ないようです。

女性の高学歴化が進み、国の政策としても女性の社会進出を促しているにも関わらず、女性が「出世」できない環境や外的要因があるのは事実です。

性差別問題は日本だけが遅れているのか?

日本だけが「性差別」の問題で遅れているんだということではなく、どの国も大小少なかれ性差別の問題はあります。

「#MeToo 」の世界的なムーブメントや、ハリウッド男優と女優のギャランティーの格差も問題になりましたね。

海外では「Back to the Future」ならぬ、「Back to the Kitchen(台所に帰れ!)」などというジョークもあるようです。

夫の出身国のニュージーランドは、男女平等で進んでいる国だと思っていました。

しかし、昔から女性リーダーが多かったわけではなく、困難な時代を経て、やっと多くの女性リーダーが活躍できるように最近やっとなってきた、ということを聞きました。

今では、ニュージーランドの大統領も「女性」が務めています。

西洋の先進国では、男女平等の雇用や教育の機会、育児の分担化が一般化してきています。

途上国では今もなお、女性の社会進出が遅れていたり、女性の人権が男性の人権よりも軽視されている国が多くあります。

インドでは、女性が結婚する時に多額の結納金を支払う必要があるため、家族に女の子が生まれることを残念がる人がいるのだとか。

これはとても悲しい現実です。

日本でも男性側が払うことが当たり前になっていた結納金。

結納金なんて、もう時代遅れなのかもしれませんね。

差別は、その国に昔からある「文化」が大きく関係していることがわかります。

性差別的なことが常識化している日本社会

日本は、女性が「可愛い」ということにとても敏感な社会です。

可愛いという概念は、守ってあげたくなる、天然、華奢、小動物系のような感じ?でしょうか。

このような現象に対して、日本の女性は違和感を持ったり、怒ったりしているのか?というと、大半はそうでもないような気もします。

どちらかというと、それに従うことを使命感として捉えている人も多いようにも思えます。

若い女性(10〜20代などの)を対象にしているような雑誌にも、モテメイク、愛されファッションなど、自分の個性よりも客観的印象を意識しているものが多く、「かわいい愛される女性」の勉強に余念がありません。

これは、女性が喜んで客観的な視線を意識している?または、この国で生き残るためのサバイバル術を身につけているようにも思えます。

そのために、多くの女性が過度なダイエットをしたり、美容整形をしたりと、客観てきにもヘルシーではないことが曲がり通っています。

このような社会的な風潮から、知らないうちに女性が被害者になっていることもあります。

その背景には、自分で自分を愛する「自己愛」よりも、両親(特に同じ女性である「母親」)からの教えもあり、友人や社会など他者からの「評価」を重視する傾向が強いといえるでしょう。

女性らしさを重視する教育」を、女の子が小さい時からされることにより、性差別の連鎖や文化を受け継いでいってしまっているのかもしれません。

私たちは気付かない性差別の世界で育つ


日本で暮らす誰でも、性差別の経験やストーリーがあると思います。

私も、昭和のその時代、そんな経験をしたことがありました。

兄と弟は両親の意向で中学受験をし私立中学校に通いましたが、私だけは「女の子」だったので、受験はせずに公立中学校に通うことになりました。

女の子だった私は、音楽や芸術の教育に力を入れて育ててもらった気がします。

兄と弟は良いキャリアを歩むために早いうちからそのレールに乗ることになります。

良く父と母が言っていたのは、「女の子は愛嬌だよ。可愛い女の子になりなさいね。」「男の子は良い仕事に就かないと」ということ。

大人になって、父と母の望んだように私たち兄弟はなれたかというと甚だ疑問が残りますが。笑

今考えると「男の子は、いい仕事に就いて、女の子は良い仕事についている男性と結婚して幸せになること」ということがステレオタイプ化された中で教育され、兄弟3人とも大人になったようです。

うちの家庭だけでなく、昭和の時代は、たぶんそんな時代でした。

このように、性差別は子供の頃からの「教育」と「環境」で悪気なく作られるものなのでしょう。

昔ながらの「女性の役割」と「男性の役割」は悪いことなのか?

「女の幸せは家庭にある」という風潮から、専業主婦を選び気ままに幸せに生活をする女性も今の時代もたくさんいます。

昔から考えられている「女性らしい人生」というのが合っている女性、それを好む人々も多くいるのです。

男性も「仕事をバリバリこなしている方が、育児を手伝うよりも幸せだ」という人もいるでしょう。

それとは反対に、女性でも働き続けたい、男性でも家庭に入りたいという人もいます。

結局、男性でも女性でも性別で役割分担をすることが問題なのでしょう。

最近では、男女平等に対する社会の基盤が整っていない中でに「子供がいる女性も社会に出て働いてください」という風潮から、仕事と育児の板挟みになっている女性もたくさんいます。

一人で家計を養わないと!という大きなプレッシャーを感じて結婚できない男性もいます。

本当は、できる方がやればいい、分担して助け合うのが夫婦なはず。

「女性らしさ」や「男らしさ」の概念が、人々の多様性や個性、選択の自由を奪っています。

男性差別も忘れてはならない

世の中の性差別は女性差別だけではありません。

日本には、女性差別と同様に、男性差別も根強くあり、多くの男性を苦しめています。

「男らしくしなさい」「男なんだから泣くな」「男なんだから家庭を養うのが当たり前」「男は仕事が命だろ」など、性別でその人の価値観を押し付けるような習慣が今でも根強く残っています。

昔に比べて「職業差別」は少なくなってきているようにも思いますが、この東大入学式の祝辞のように、現代でも性別によって職業選択の機会がコントロールされている分野もあるようです。

とても悲しい現実です。

実社会でも、性差別は問題として日常に存在しています。

例えば、患者が男性看護師や介護士に対する差別などもあります。

女性患者が「男性に体を見られるのは恥ずかしい」、「女性に看護・介護してもらった方が嬉しい」ということもあります。

これは仕方のないことですね。

しかし、このようにコントロールできないこと、白黒つけられないこと、仕方ないと思われることが、本当の「差別の実態」なのかもしれません。

「差別」とは、はっきりとよく見えるものではありません。

明確には見えないけど、よく考えてみると、あの時のあれは「差別」だったと後になって気付くことが多いです。

差別をなくすためには、意識して言動を選ぶ必要があるのです。

世界中が「差別」に対して意識を強めいています。

関連記事:現代の世界で一番敏感な問題はいろんな種類の「差別」。PC(ポリティカル・コレクトネス)とは?

おわりに

社会学者の上野千鶴子さんのような時代の先駆者の方々によって、徐々に人々の意識は変わり、性差別の考え方も変化してきていると思います。

この東大入学式の祝辞は、これから日本を背負ってたつ若い学生に「差別」について理解を促すと共に、50代、60代、70代の性差別的な古い文化で生きてきた、差別的思想を持つ組織のトップに立つ人たちにも新時代の「警鐘」を鳴らしているように思えました。

古い体質の歴史あるアカデミーの世界は特に、このような性差別が根強いのでしょう。

日本の若者の思考は変わりつつあります。

「男の人だけが働くのではなくて、女性も男性も共に働き、一緒に育児をするべきだ」という思考の人たちが増えており、自分らしい生き方を見直しています。

性別に関係なく、平等にやりたいことができる社会、性的偏見で物事を考えない社会は、もうすぐそこまで来ていると信じています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です